バーコードが消えた日

 少し前に雨隠ギド『甘々と稲妻』(講談社)の9巻が出ていたので購入した。マンガの世界では今、料理・グルメマンガが1つのジャンルとして確固たる勢力となっているが、この『甘々と稲妻』もその1つだ。シングルファーザーの高校教師が娘(つむぎ)のためにいろいろな料理を学んでいくが、その料理の先生?が教師の教え子である女子高生という設定である。料理マンガであると同時に子育てマンガ(これも1つのジャンル)でもあり、心暖まるストーリーは読んでいて大変心地よい。前の8巻では、つむぎが小学校に入学し、順調に成長をとげている。
 昨年にはアニメ化されたが、大変よい出来であった。

 さて、この9巻を手にした時に、ふとカバーにバーコードが印刷されていないことに気がついた。コミックは透明なビニールで包まれ(シュリンクという)ており、そこにバーコードが印刷されたシールが貼っている。中のカバーにはバーコードの元となるISBNナンバーが小さく印刷されているだけで、あの2段の縞々模様は存在しない。
 シュリンクは立ち読み防止と汚損防止のために、ほとんどの書店で主にマンガ単行本、ゲーム攻略本などに施されている。これはそれぞれの書店が専用の機械を使って行っている。
 ということは、書店が行っていた作業を出版社が製造段階で行い、そこにバーコードシールを貼ることでカバーへのバーコード印刷を不要にしたということになる。
 調べてみると講談社が2013年の11月からコミックに限って開始した制度で、なんと同時にスリップ(注文・売上短冊)も廃止したという。ただ、すべてがそうかという訳でもないらしく、希望する書店に対しては従来どおりのスリップが挟み込まれ、カバーにバーコードが印刷されたコミックが配本されるそうだ。
 随分と手間(コスト)のかかることを始めたものだとあきれるが、何らかの意図があっての実験なのだろう。

 本を作っている側からすると、バーコードの存在はやっかいである。およそ45×90ミリ程度のスペースがバーコードとISBNナンバー、定価表示にあてられているが、それらの存在はデザインの自由度を著しく阻害する。ブックデザイナーにとっては呪詛の対象以外の何ものでもない。
 しかし講談社の場合、確かにバーコードのないカバーデザインはすっきりしていて好ましいのだが、バーコード入りのカバーと共通のデザインなので、バーコードが入る部分は空白というか、何のアイテムも配置されないようにするしかない。それではデザイン上のうまみがなさすぎるではないか。
 ということは、何かもっと別の狙いがありそうだ。
 ここで考えられるのは、中古本を扱う某チェーン店の存在だ。中古本チェーン店の主力商品はコミックである。講談社のコミックは、購入された時点でそれを包むシュリンクとともにバーコードシールが捨てられる。それが中古本として某チェーン店に持ち込まれたらどうだろう。商品管理が大混乱に陥ることが充分想像できるではないか。
 話としては面白いが(実際似たような主張がネット上にあった)もちろんこんな荒唐無稽な理由ではないだろう。
 天下の大出版社がそんな子供じみた嫌がらせを経費をかけてまでやるはずがないのは自明の理であり、恐らくは将来に向けた何らかの実験なのだろう。
 ただ、この動きが他社に拡がるのかどうかは注目したい。