あの馬鹿が本因坊に先二つ

 百田尚樹氏の小説『幻庵(げんなん)』上・下巻(文藝春秋)を読んだ。週刊文春連載中から楽しみにしていたので、上下巻合わせて800頁を超す大作だが、一気に読了できた。
 江戸時代、身を削って囲碁の芸を磨く棋士たちの青春絵巻が前半、後半は名人碁所をめぐる熾烈な争いが描かれている。江戸時代の囲碁史の中でも本因坊丈和(じょうわ)と幻庵因碩(いんせき)の争いは、そのままで映画の脚本になるくらいの話なので、腕のある作家がこれを題材にした小説が面白くないはずがない。ただ、囲碁を知らない人にとっては、囲碁のルールや用語が難解に思えて興味がそがれるのかもしれない。残念ながら百田作品としては、ベストセラーという程の売れ行きではないようだ。

 秋田(大仙市)出身の作家・花家圭太郎氏(残念ながら2012年に亡くなられた)の代表作に「花の小十郎シリーズ」がある。佐竹藩士の戸沢小十郎(二百石)が活躍する時代小説だが、この小十郎は戦国期に角館を治めた戸沢氏の血を引き、宮本武蔵とも戦った剣豪で、しかも囲碁の指南役でもあるという設定だ。のちに徳川将軍秀忠の囲碁指南役にもなるというから、少しでも囲碁の歴史を知っている人間には、面白いかどうかは別にして、とても「痛い」小説である。

 江戸時代の大名にとって、囲碁は身につけるべき教養の一つであるから、歴代の藩主・佐竹氏も当然囲碁を習ったことだろう。藩士の中に指南役がいたのか、あるいは江戸滞在中に囲碁四家(本因坊・安井・井上・林=今のプロ棋士にあたる)の指導を受けたものか、いろいろ調べているのだが、さっぱり分からない。

 秋田県出身のプロ囲碁棋士は少ないが、それでも少し前までは2人いた。だが2011年に益子富美彦六段が40代の若さで急逝され、2014年には梅木英(すぐる)八段が引退して現役棋士がいなくなってしまった。
 益子六段の御父君は益子崇氏(故人)。秋田市最後の分校である太平小学校木曽石分校(現在は廃校)の子どもたちの生き生きとした姿を写真に撮り続け、1998年に『すくすく育て若葉のように』という写真集を当社から出版された。同書は2000年に秋田県多喜二祭賞を受賞した。私がこの会社に入って初めて編集した本である。ご自宅にお邪魔すると、囲碁の週刊新聞が置かれていて「囲碁を打たれるのですか?」と尋ねたら、「息子が日本棋院のプロ棋士なんだよ」と嬉しそうに教えてくれたことを思い出す。