君は「未亡人下宿」を見たか

 久保新二という俳優を知っている人は、恐らく昭和50年代に20歳前後だった方ではないかと思う。この当時、大学生を中心とした若者に圧倒的な支持を受けたピンク映画があった。山本晋也が監督する「未亡人下宿」シリーズである。
 第1作がヒットするやすぐさま続編が制作され、以後毎年2本のペースで公開された。最初の頃は12月の末に正月作品が封切られ、そのわずか3か月後の3月末(入学シーズン)には次作が公開されるという信じられないペースで作られていた(後に盆と正月という「寅さん」的な間隔になった)。
 配給をしていた日活の「ドル箱」とも言われるヒットシリーズだったのである。
シリーズ末期にはシティボーイズ(大竹まこと・きたろう・斉木しげる)が主演し、所ジョージが歌い、最終作に至っては、タモリや立川談志がゲスト出演するという、今では信じられないような豪華なピンク映画となった(ただし末期の作品は全く面白くない)。

 内容は美貌の未亡人「池田かつ」が営む下宿屋を舞台に繰り広げられる学生たちのドタバタコメディである。この下宿生の一人、「尾崎清彦」を演じていたのが久保新二なのだ。
 尾崎は国土館大学土木学部道路標識学科(シリーズ後半の設定)で留年を繰りかえす、学生服姿のバンカラ大学生である。「無茶苦茶」としかいいようのないギャグ(歯磨き後ウガイをした水を「ライオンスープ」と称して他人に飲ませるといった行為をヤラセ抜きで本当にやる)、男色行為は当たり前、著作権完全無視のパロディの数々…。70年安保闘争が不発に終わり虚無感に包まれていた当時の若者は、破滅的なギャグをアドリブでマシンガンのように繰り出す久保新二を新たなヒーローとして迎え入れた。
 同シリーズは16作品が作られ、中でも五代目ママとして橘雪子が登場してからの安定度は抜群だった。橘は芝居が上手く(最近だと映画「おくりびと」にも出演している)、当時20代後半だったのだが、完全に熟女の未亡人に見えた。同シリーズの何作かはDVDとして入手可能だが、残念ながら彼女の主演作は含まれていない。

 その久保新二の著書『アデュ~ ポルノの帝王久保新二の愛と涙と大爆笑』(2014年・ポッド出版)を読んだ。
 ピンク映画全盛期のさまざまな裏話が満載で、非常に面白かったが(何と橘雪子との対談も収録されている!)、読んでいて楽しいのと同時にある種の寂しさを感じた。

 今やインターネットの普及によってポルノは実質的に解禁されている。現代の青少年は多少の知識とネット環境さえあれば、好きなだけ無修正映像を手に入れられる。したがって「女性の裸がどうしても見たい」という欲求が薄い。これは明らかに「不幸」であり、「男性草食化」の原因ではないかと思う。
 ピンク映画の世界では、映倫の不条理な規制によって、ポルノでありながら性行為を連想させる腰の密着や動きは、たとえ性器が映っていなくても御法度である。したがって見せられないものは隠さざるを得ない。都合のよい柱や不自然に置かれた花瓶などで肝心の部分が見えないようにするのである。かといってモザイクなどという無粋なものは使わない。それはもう一種の様式美ともいえるテクニックであった。
 こちらの「見たい」という欲求を予想外の隠し方でかわされると「こうきたか!」と唸ることもある、なかなかに味わい深いものなのである。

 今、こうした「隠す楽しさ」は絶滅したかに思えるが、実は意外なところで生き続けている。それはテレビアニメの世界である。
 例えば70年代後半の伝説的ギャグアニメ「ヤッターマン」では、ヤッターマンに退治された悪玉トリオが爆発でボロボロとなり、女ボス「ドロンジョ様」の乳首がポロリというのが定番の見せ場だった。これを土曜の夕方に堂々と放映していた。
 ところが現在のテレビアニメではどんどん規制が強化され、このような女性の裸体や残虐シーンは完全にアウトとなって修正されている(もっとも、セクシャルな描写が「売り」の作品ではDVD発売時に修正が解かれ、それが購買意欲をそそるという手法が確立されている)。
 DVDでの規制解除を前提としている作品では「謎の光」と嘲笑される安易で不自然な修正方法が横行しているが、一般の作品では前景に置かれた物体や人物、あるいはキャラクターの動きによって見せられない部分を巧みに隠す手法が取られることが多い。これはまさにピンク映画の伝統芸を正しく継承していると言わざるを得ないのである。

 抑圧もまた楽しからずや。テレビアニメよ、幸あれかしである。